防災訓練に行く

今日は防災訓練に顔を出してきました。
回覧板でお知らせが回ってきたので、あまり考えず出席の返事をしておいたのですが、地元ではなんと初の試みだったそうです。今どき防災訓練をしたことがなかったという町内は珍しいのですかね、どうなんですかね。
何もこんな真夏のさなかにやらなくても、と思いましたが、市の消防との日程調整などあって、自由にはいかないようです。
で、隣組の方々と連れ立って公民館まで行ってきたわけですが......。炎天下に集合してもしばらく棒立ちを余儀なくされ、マイクの声は二つのスピーカーの間にタイムラグがあってよく聞き取れないなど、初めてのこととはいえ、はっきり言って段取りは最悪レベルでした。防災資材の案内なんて別に口頭でしなくても、印刷して配布すりゃ済むことじゃん、と。周囲からも不満の声がザワザワと、みたいな感じでした。
もちろん、本物の災害に段取りがあるわけもないのだから、こんな訓練意味ないじゃん、てなことは申しません。ほんの少し、非常時の動き方を確認するだけでも、それなりに大事なことだとは思います。ただ同時に考えたのは、災害時、それも大災害になればなるほど、地域での対応には限界があるだろうということです。
昨今、被災地での住民の協力、努力といったものがクローズアップされて、「共助」といった言葉が持て囃されるような印象があります。公助をケチって共助を前面に押し出す方向に防災政策をシフトさせていくような言説も、政府から聞こえてきたりしてるようです。ですが、草の根レベルでの災害対策は、絶対に限定的なものにしかなりません。被災対応の根幹は共助よりも公助であるべきです。例えば公民館の建物全部を非常食で埋め尽くしても、町の人みんなでかかれば大して持ち堪えられるわけないのです。共助というものは基本的に補助的なものであるはずです。あそこのお婆ちゃん一人暮らしやから早よ見に行ったらなあかん、みたいな。地域の協力というのは、それはそれとして非常に重要なことでありますが、かといって過度に美化され持ち上げられて、公的支援を切り詰める口実にされるようなことがあってはならない。
そんなことをつらつらと思いながら、消火器を握り、お茶を頂いて帰りました。