シリア難民のニュースについて

シリア難民の殺到による混乱でハンガリーブダペスト東駅が一時閉鎖、警官隊と難民が睨み合い、というニュースにもの思います。

軍事組織の衝突を逃れてヨーロッパまで辿り着いたと思いきや、今度は警察組織に行く手を阻まれる……クソとしか言いようのない状況なわけです。

暴力装置から暴力装置へ、一方の手を逃れようとして他方の手に落ちる……難民とは暴力装置暴力装置の間を流浪する民のことであるという現実が、否応なくそこにはあります。

反面で、そのような暴力装置のことを安全保障装置だとか平和維持装置だと錯覚できる立場にある者が、近代的な意味での「国民」と呼ばれる存在です。そして「国民」の中でも最も愚かな層は、権力者の策動に乗せられ、戦争への加担を積極的平和主義と称する欺瞞の中に沈んでいきます。

しかし暴力は暴力でしかない、という点はあらためて強く意識されるべきでしょう。考えれば当たり前なのですが、軍事的実力の行使と平和という概念とは、絶対に相容れません。

「平和安全活動をしようにも、悪い奴らがいるからこちらも武装するしかないんだ」という防衛の論理は、敷衍すれば必ず先制攻撃ドクトリンに繋がります。

暴力装置に頼った安全保障という、これまでなぜか当然のように罷り通ってきたこの自己撞着でしかない発想は、どうしても克服されるべきものでしょう。