長期戦も視野に入れる

息子を耳鼻咽喉科に連れていき、薬をもらってきたのがこの月曜である。

以来、嫁さんの手によってきちんと朝夕に薬を飲まされ、鼻の調子も少しずつではあるがよくなってきているようだ。たしかに、以前など朝起きると固まった鼻水で頬や口の辺りまでカピカピになったりしていたのが、ここ数日はそこまでのことはない。

とはいえ劇的に改善しているわけでもなく、滲出性中耳炎だとすると完治するまでには結構長引くことも多いようなので、長期戦も視野に入れなければならないのかなあ、といった次第である。

急性の中耳炎にはぼくも子供の頃なったことがあるが、あれはかなり辛かったという記憶がある。洞穴の中で叫ぶときのように耳の奥でグワグワと音が反響し、まさに耳が穴であることを思い知らされるといった感じで、しかもその反響がジンジンとした痛みを常に引き起こす――そんな風なイメージで記憶されている。しかし、母に伴われてやはり耳鼻咽喉科を訪れた覚えはあるものの、いったいどのように治ったのかということはスッポリと抜け落ちてしまっている。なんだろう、嫌なことの方がより鮮明に記憶に刻まれるという、至極単純な一般論的事態なのであろうか。実際息子のこととして直面してみると、中耳炎の嫌さ加減などより、具体的にどのようにして治ったかの経緯を記憶していた方がはるかにありがたかったのだが……。

ともあれ現在不快を感じているのは息子であり、ひどい中耳炎になったりする前に早く治してあげたいと思うばかりである。しかしまあ親であるぼくが焦ったところで何一ついいことはないのだから、やはり冷静に構えて長い目で対処したいと思い直すのだが、なんだか治ってきているような兆しがあれば、その方向に一気に針が振れてくれないものかとやはり思ってしまうのであり、こんな風に二つの態度の間で揺れ動くのもまた人間性の一般論的事態か、などとしょうもないことを考えるわけである。