誕生を嫌がる

息子は今年、2013年の1月31日、午後4時半頃に生まれた。

出産予定日を一週間以上過ぎてからの帝王切開であった。

 

後年大きくなってから聞いた話だが、ぼくを子宮から引き出すのは大仕事だったという。その気持ちはよくわかるというものだ。なんで動くことがあろう? なんでぬくぬくと暖かい場所から、何もかもが無料で与えられる居心地のよい場所から、出てくることがあろう?

 

ヘンリー・ミラー『南回帰線』 

 

息子がこんな風に考えていたかどうかは定かでない。死にかけてなお、なぜ頑なに彼が胎内に留まろうとしたのか、その理由を知る術はない。 

いや、死にかけた、というのはさすがに大袈裟かもしれないが、分娩の途中で徐々に心拍が弱まり、自然出産にこだわるなら危険な状態になるかもしれない、という旨のことを言われたのは記憶している。

嫁の痛みも相当に耐えがたいものだったようで、結局は帝王切開を選択することになった。結果、母子ともに無事に出産を終えることができたわけで、この決断はよかったと思っている。

52.5㎝、3800g、ミラー的精神を持っていたかどうかはさておき、周囲を大いにやきもきさせ、とりわけ母には身体的に非常な負担をかけつつ、渋々社会に歩み出た我らが男児は、そりゃたしかに狭い産道を必死こいて通ってくるのも嫌になるわ、というサイズであった。

保育器(?)というのであろうか、透明なケースに入れられた息子には、出産後すぐ対面することができた。ドストエフスキーの『悪霊』の中で、シャートフという人物が我が子の出産に立ち会って、誕生と生命の素晴らしさに感じ入り、思想的に回心してしまうという場面があるが、その心情が幾許か理解できるような気がした。

そして、付き添っていた看護師から、「写真撮っても大丈夫ですよ」と言われて喜び勇んだにもかかわらず、バッテリー切れ寸前だったぼくのスマホはまるでスマートにあらず、カメラを起動することすらできないのであった。