両生這いをする?

職場が遠い関係で、朝はあまり息子とゆっくりできず、帰ってきたときには大抵彼はもう眠りかけている。そのため、長時間じっくり息子と向き合えるのは、どうしても週末に限られてしまう。それだからこそ、と言うべきか、一週間の間に息子が果たしている成長には、毎度毎度目を瞠らされる。男子三日会わざれば括目して見よ、とはまさにこのことであろう。

この週末、息子は両生這いに近い動きができるようになっていた。

前にも触れたように両生這いとは、体を引きずるだけの前進運動といわゆる這い這いとの中間段階であり、サンショウウオが歩くような感じで左右の手足を交互に出して前進する運動である。

それを今朝、完全ではないが二、三歩(?)やってみせてくれた。それだけでなく、腰を浮かして這い這いを始めそうな姿勢を維持できる時間も長くなっている。生まれ落ちたばかりの仔馬や仔牛のように、四本足で踏ん張ってプルプルしているアレである。そのまま踏ん張りきってすぐ走れるようになることは当然なく、やがて疲れて崩れ落ちるのだが、姿勢そのものへの慣れが見えてきたように感ずるのが面白い。ゆっくりでも段階を踏んで成長していってくれればと思うが、段階を踏んでいることの証を見たような気になれるときは、やはり嬉しいのである。

ところで子供の成長を記述していて自分でも感じるが、「まだ完全に~できたわけではないが」という風な書き方になることが非常に多い。子供の成長プロセスには、這い這いできた、立ち上がった、歩けた、などいくつものメルクマールが設定されているが、実際には時間軸上のどこかしらの確定した点を以て、段階Aを通過した、などと明示的に言えるものではなく、通過されるべき点自体が流動的な揺らぎの中にあるのだろうと思う。子供の成長を物語として理解するならば、それを一つの「進歩」の過程として表象することもできようが、その実態は決して単線的な進歩史観の要請に沿うものではないのだ。子供とは、文字通りいつの間にか成長しているものなのだろうと思うのである。