人見知りと自己の成立

昨日今日は発熱のため休んでいるが、息子はこのところ保育園で人見知りをするようになっているらしい。

見慣れない人が赤ちゃんクラスの部屋に入ってきたりすると不安になって泣いたりする、ということだろう。

普段の息子はよく笑い、スーパーのレジに並んだ時なども、後ろのおばちゃんに愛想を振りまいたりするのが常なので、人見知りの様子というのはあまり想像できない。実際にその場で見てみたいと思うくらいである。

が、そのことはさておき、発達の上で人見知りの段階を経ることが重要なのはよくわかる。

人見知りとは要するに、他者を他者として分節できるような認識が形成されてきたことの表徴の一つである。そして他者を他者として認識できるということは、翻って「自己」なるものの成立の基盤でもある。

「私」の輪郭が描かれるためには、その輪郭から排除される「他なるもの」が不可欠である。もちろん、あらかじめ与えられている「他なるもの」が、同様にあらかじめ前提されている「私」によって排除されるわけではない。そうではなく、輪郭ないし境界線を形作ってゆく前人称的な構成的運動(私以前的私、とでも呼ぶしかない)がまずあり、その運動による境界画定の効果として、内部と外部が析出されてくるということだ。つまり、「私」と「他者」として分節される境界の内部と外部の成立は論理的には同じ運動に由来し、同時的である。先行的に与えられた「私」が次いで「他者」を認識する、という通俗的な図式がここで覆されている。これが現代哲学、とりわけ存在論の大きな功績の一つであった。サルトルに倣って言えば、「内面性への道は他者を経由する」のである。

もっとも考えてみれば、これはそれほど驚くべきことではないのだろう。日常の中にもごく普通に見出されることだ。例えば何も記されていない白い紙は、それだけでは単なる白い紙であり、均質性の沈黙の中に溶け込んでいる。その四隅や上下のスペースが「余白」であるためには、何事かが記され、あるいは描かれることが絶対に必要なのである。

さて、このように「私」というものの成立が「他者」の成立と必然的な相関関係にあり、この二項は相互依存的だとすれば、人見知りとは、先に述べた前人称的構成運動が自己の外延を確定していくプロセスの一環としてあるのだろう。不安、という言葉が既に主体を要請する言葉であるので、不正確にならざるを得ないが、相手が他者であるから不安になるのではない。不安とはむしろ、自他分節の兆候であると思う。

もちろん、人見知りが他者認識/自己認識の萌芽であることをもって、十全たる自我の形成が語れるわけではない。重要なのは、人見知りが必然的なステップであるということだ。そしてステップであるということは、それが乗り越えられるべき一段階であることを意味している。ここらでいい加減に哲学から離れ、嫁さんから薦められた発達論の本を繙いてみる。

どんなに激しく泣いていても、大好きな先生が来て、心を支えてくれたなら、あんなに怖かったカメラのおじちゃんの顔を見ることができます。しかし、すぐ怖くなって、また先生の胸に頬をうずめて泣きますが、また気持ちが落ち着くと、怖いおじちゃんの顔を見ようとします。「そんなに怖かったら、見なければいいでしょ」と言いたくなります。しかし、この「怖いもの見たさ」が人見知りのたいせつな特徴を現しているのです。つまり、新しい人は怖いけれども、興味があるのです。まるで「もうひとつへの欲張りさ」が人間関係にも現れ出るように、新しい人との関係を結ぶことに、潜在的な願いをもつようになるのです。

 

白石正久『発達の扉・上』、かもがわ出版、1994年、76-77頁。

著者が「乳児期後半」と位置付ける生後7ヶ月以降についての論述だが、「心」がどのように成立しているか、などと問い詰めて、ぼく自身が先に論じたこととの整合を図るつもりはない。強調すべきはおそらく、自他の分離の兆候である人見知りが、他者の方へと向かうことによって乗り越えられるという示唆であろう。人見知りこそ、他者への意欲の端緒であるという逆説だ。しかし境界というものは、常に越境への欲望と不可分ではなかっただろうか。これまた逆説的なことに、境界は彼岸と此岸とを架橋するためにこそ生み出されるように思うのである。その架橋によって現出するものが、必ず融和的なオプティミズムに彩られているなどと言うつもりはない。ただ、そうして生じるものは、もはや自他未分の原初状態への回帰ではなく、新しいものの構想であり、強い意味で「出来事」と呼ばれるべきものであろう。自己と他者の成立という地平を離れ、ここで展望されているのは、輪郭が確定しつつある自己と他者の関係への志向であり、その限りにおいて、倫理学である。